品貧生活研究所

目標︰街中に古本屋開業。小ナリワイ実戦研究中。汐入連合体育振興会副会長。横須賀市(神奈川県)⇔旭市(千葉県)の二拠点生活中。

隣隣隣街祭り

隣の、隣の、隣の街の祭りに行ってきました。御神輿を担ぎにです。御神輿は面白いと思います。人間と神を繋ぐ文化は何よりもまず、人間と人間を繋ぎます。繋ぎ、そして、僕は、「はなされる」。

例えばそこに、流れる時間。

【何もしない時間】

神輿には何もしない時間が流れます。皆が皆神輿に取っ付く(担ぐ)ことは出来ません。神輿の後ろをだらだらと、くっ付いて歩く時間が好きです。何か特別な感じがします。僕は何もしない時間を過ごすために今日、ここに来たのだと、そう感じることがあります。

【異常な孤独】

神輿を皆で担ぎます
えいりゃー
ふーりゃー
おいさー
足並みを
揺れを
皆で合わせます

一体化したような気がします
神を媒体にして
我々は

神輿を
馬に置き
一息つく時
無為の時間がやって来ます
我々は独りに戻ります

異常な孤独は
そのような時に
僕を摑んで
離しません
罰のような孤独
これが僕の
ハレとケ

【揺れの頻度】

一年前にはおっかなびっくりだった神輿も、回を重ねるごとに上手く担げるようになります。そこに、流れる「息」を感じることができるからです。その息に合わせて、呼吸すれば苦しくはありません。神輿に、肩を入れること(担ぐこと)に構えなくなります。担げば担ぐほどに上手く担げるようになります。自分でそう思っているだけなのかもしれないと、ガラスに映る自分を横目で確認しながら。

左・右・左・右・左・右・左・右

上・下・上・下・上・下・上・下

身体が揺れます。
心も揺れます。

少し、僕は揺れすぎている嫌いがあります。神輿に肩を入れることは任意です。好きな時に、好きなだけ担げば良い。休みたければ、休めば良い。抜けたければ、後ろの人に合図して抜ければ良い。直ぐに誰かが代わりに肩を入れてくれる。

神輿は自由なのだ。

でも僕は揺れすぎている。揺れれば揺れるほどに、揺れることに上手くなっている自分が鏡に映る。しかし、鏡に映る自分は虚像ではないかと我に返る。揺れが大きく、頻度が多いほど、神輿を馬(土台)に載せた時、僕にやって来る孤独は大きい。

「動きすぎてはいけない」

聴こえてくる声。

「動きすぎては、生けない」

感じる心。

【再度何もしない時間を】

担ぎ過ぎると、揺れすぎると、孤独が大きくやって来る。何もしないで居ることの許される場所や時間を求めて、揺れている自分が鏡に映る。その姿を横目に見ていると、正面では矛盾渋滞が続く。バカみたいだと、思います。

f:id:fuchiwakitsutomu:20190728222019j:plain祭りで友と再会しました。それは、バカみたいではない。