品貧生活研究所

目標︰2023年3月末、街中に古本屋開業。小ナリワイ実戦研究中。汐入連合体育振興会副会長。横須賀市(神奈川県)⇔旭市(千葉県)の二拠点生活中。

僕が今、強めに考えることと、同人誌「ALS」編集長就任宣言 

横須賀は広い
ひとがあったかで
海の波は優しく
街にはキップのよい風が吹く

日本の情緒と異国のエチケット
ふたつの融合
軌跡の街

でも

何かが足りない
(呑み屋が多すぎんだよ…)

「文芸」的な、余りにも「文芸」的な何か

が足りない

さあ?!

墨汁1滴
ハチドリ1雫
目薬みたいに小さな1滴を

今・ここ・上町から
Re:START
「追加」砲弾
「追加」放談
つーか、母艦は「AMIS」だ

〜〜〜

◎「ALS」とは、横須賀市上町にある、古本屋カフェのお客様による同人誌です。エッセーや小説や絵が載っています。僕も寄稿させてもらっていました。この度、僕が、二代目編集長を襲名致しました。発行部数は前号が180部と、多くはないものかとは思います。夏に発行予定の第4号がALSの新たな船出となります。遠くない将来の、古本屋を開業に向けて、「紙」によるアナログ媒体を欲していた私には、今回渡りに船のタイミングとなりました。同店で今後継続展開を考えている《哲学カフェ横須賀》や、品貧生活研究所で継続する予定の無料カフェ《Mr.エレファント》などの宣伝も、同誌上で出来ると期待して、また、目論んでいます。矛盾しますが、何よりも僕は、「紙」が好きなんだと思います。極端に言うと、インターネットよりも本が好きです。もっと素直に言うと、人と直接会うことが好きです。アナログなコミュニケーションの美しさに心惹かれる人間です。だから僕はいつか「あなた」と会いたいです。僕は、あなたや誰かや、そして僕が、「居ていい」場所を作りたいのです。できることならばお金を介在させないで、です。ちょっと、分かりにくい表現をさせて貰いますが、あなたの持つ「えん」と僕の持つ「えん」のすみっこに出来る、ちょっとした共依存の具現化みたいなイメージがあります。ここで僕が、「えん」に込めた想いは、《○》=1人1人がそれぞれに持つ、違っていていい、それぞれの世界のこと。《縁》=広い広いこの世の片隅で、人と人が会うことは、僕とあなたが会うことは、大げさでなくて、凄いでしょ。半分くらい奇跡です。《円》=お金を払って貰えるだけの何かを僕は提供してみたいです。是非、本にお金を払って下さい。本は、それを書いた人間は凄いんですよ。読む人も凄いんですよ。読み手がいて、はじめて書き手が生まれますから。本は、人に生きる力を与えてくれる、人間の文化の一つです。《えーねん》=それでいい。ちょっと、無理やりですが、僕は肯定したいのです。あなたが生きていることと、僕が生きていること、どちらも。でも、僕はどっぷりとは、あなたに依存しないし、したくないし、誰にも依存されたくない。人は誰もが孤独で哀しい生きものだからこそ、誰かにどっぷりと依存したくなると、僕は思います。でも、孤独で哀しいからこそ、自分の生を誰かに完全に明け渡す人生を僕は歩みたくはない。それは、今まで生きてきたものたち=死んでしまったものたち=今生きていないものたちへの、かつて「ここ」にあったはずの命に対する敬意の問題です。そして、あなたや僕が居なくなったあとにやってくる命への礼節の問題です。「あなたがあなたを生きないこと」、「僕が僕を生きないこと」を、僕は卑怯だと思います。好みの問題かもしれませんが、経験的に、「自分を生きよう」としない人間を僕は軽蔑します。綺麗事だと思います。個人主義的な考えだと思います。まるで、自分が正義であるかのようなおごりを感じて、自分で自分の首を締め付けるようで苦しくなってきます。でも、人は、一人一人「自分の人生を生きる」べきだと、倫理の観点から僕は感じて、考えて、多くではありませんが少なくはない人に、要請します。長くなりましたが、だから、一人一人が、ちょっとづつ依存し合える居場所の、割合で言うと、百分の一くらいの、素直に言いますが、《逃げ場》の一つとなる、古本屋を僕は作ります。そこにはきっと、僕の安心と誰かの安心がほんの、ひととき重なる、ありふれていて、なかなか気づかない、何かのためではない、だけど特別な人生の瞬間が生まれて、消えていきます。大袈裟な語りぶりですが、ただ単に、街に新しい店が出来ると、なんかちょっと嬉しくなりませんか?今のままでも十分なのだけれども、デパートもスーパーもコンビニも近くにあるし。でも、たまに行く店のバリエーションが新たに一つ増えることって、人生をほんの少しゆたかで、優しくすることだと、僕は思うんです。「気持ちが重いよ〜。気楽にやれよ」との、心の声も聴こえますが構いません。語りとは「騙り」であるという言葉に僕は依存していますから。

脱線しましたが、以上、編集長就任の挨拶とさせていただきます。

ちなみに、ALSとは、以下の略称です。

AMIS(店名)
Literary(文芸の)
Supplement(追加)

追記:190624

これまで1年と3ヶ月、僕がこのブログで書いてきたことは《セラピー》だったのだと、最近気づきました。『居るのはつらいよ』という本を読んだことがきっかけとなり、気づきました。それは自分をえぐる行為であったと思います。だから、とても独りよがりな文章で、それは僕のための僕だけの文章であったと、反省すべき行為だったと思います。いくら、インターネットが無料の場であったとしてもです。ただ、避けては通れない道であったと、後悔はありません。読んで下さり、それに対して、応答してくれる人たちに「甘え」させて貰いました。ありがとうございます。それら一体となった行き来がつまりは、僕にとっての《ケア》と、結果的になっていたことにも、気づきました。そして今、僕は、けっこう、大丈夫になってきました。夜独りで家に居ても、昔よりも寂しさを感じない。孤独であることに変わりはないけれど、孤独であることから目を反らさないでも、そこに居られる。きっと少しだけ、タフになったんだ。あくまでも、個人の感想として。世間から見たら、僕は全然大丈夫ではない人なのだろうと思いますが。

だから、今後は《セラピー》としての文章は極力自制して、ここではない、然るべき媒体や場所でカタチ様々に継続し、あなたや誰かの《ケア》を目指す文章や行動の記録を、これも意識的に、とのレベルに留まりますが、書いて行きたいと思います。

《セラピー》も《ケア》もどちらも優しさなんだなと、分かった時、厳しいことばで注意してくれるあのひとのことも、何も言わずにそばに居るだけのあのひとのことも、信じる気持ちが湧いてきました。

僕は作為的にしか生きられないので、「わざわざ」でしか優しさと呼ばれる行為を行えないので、多少というか、だいぶぎこちないところはあると思いますが、振り切って開き直って(これで最後にします)演っていこうと思います。そして、完全に移行する気はさらさらないし、完全を目指す必要性も感じないのだけれども、やりたいのは、

「ママ、僕のこと、見てね・見てね・見てね」

から

「大丈夫だよ。僕が、ちゃんと、見てるよ」

への

役替え希望届けの提出である。

誰かへの《ケア》が同時に僕の《ケア》となる。
誰かへの《愛》が同時に僕の《愛》となる。
孤独だが、孤独ではない。
おとなと、こどもがしっかりと手を握っている。

いつかきっと《ナチュラルテイスト》な僕が、そこに誰かと居る。そういう世界を今日も僕は妄想し、妄想し続ける。

追記:190626

町内会の火の用心の時のように(二人一組、三人一組)、前を行く、音を鳴らす人を、うしろから懐中電灯で、光を照らす係を、そんな役割を僕は担いたいのだと思います。それが、私の、喜びです(イッツ・マイ・プレジャー)

また!