品貧生活研究所

目標︰2023年3月末、街中に古本屋開業。小ナリワイ実戦研究中。汐入連合体育振興会副会長。横須賀市(神奈川県)⇔旭市(千葉県)の二拠点生活中。

《次男の系譜学》

⚠《次男の系譜学》と言いたい。

※母がいて
父がいて
兄がいて
弟がいて
祖母がいて

(僕は居る)

※繰り返し

※繰り返し

何度と泣く

繰り返される円環よりの離脱

なかのなか

先でもなく
端でもない

挟まれているのは
ただのカタチ

(ふむふむ)

【長男坊の選択肢】

どうも。

あなたは、上・中・下?

僕?

特上。

バアイ。

【次男の選択肢】

資本と血族と順番。
昭和と平成と令和。

僕には選択肢がある。

【弟、その虐げらる役割】

見てみぬふりの、以前に。弱いものに、「澱」は溜まる。意図がなくとも。僕は弟を虐げていた(ようだ)。すまんが、僕の眼中に君は居なかった。ほんとに。君が大きくなると、君の飼いだした犬を君の替わりに僕は虐げていたね。残酷なことだけれども、別に、それは君でも犬でも、代替可能なんだ。君は悪くない。僕も悪くない。構造が悪いのだ。

そう。

今こそ横須賀から。

構造改革。

【捨て材のようなことば】

構造で家族を見てしまうと、その系譜を丁寧に辿ってゆくと、諸悪の行方がボヤケて、まるでそれが無かったかのように、ぼくらは、物分りの良い坊っちゃんに成り下がってしまう。怒りの澱は、肺にこびりついて絶対に取れないタールのように、それ以上に増えることは(意思があれば)防げるが、時が経ったとしても、それ以下には決してならない。

何かをぶっつけて、折り合うことしか。

何を、ぶつける?

【歴史・文化・その時代背景】

ふむ。

《次男の系譜学》

と、言いますのも、他者と折り合って生きたいからです。そして、血の繋がった他者、所謂「家族」を僕は消化したい。昇華して、忘却の彼方へ。それはきっと、実際の行動としては、フレンドシップ溢れるハートウォーミングな現象としてあらわれるはずです。というか、演る。

そこで、あれを演ってるんですよ。
皆さんも大好きな。
キャッチボール用の球。

《相手の立場になってものを考える》

寒気がしますね。

ブルブル。

【自分とは違う境遇や立場、時代背景を持つひとびとの話に耳を傾けて、時折こちらからもことばを、自分の腹から出る問いかけを挟む】

僕は都会で長く生きたので(二十代の全て)、都会で生きるひとびとの気持ちは、皮膚感覚で分かるつもりである。二元論のザルからこぼれ落ちる小さきものたちのことは無視する。今、僕は地方の家族を思う。また、地方で共に生きる「僕の選んだファミリー」

〇〇〇
そうだ、僕は血族よりも地縁を優先している
〇〇〇

のことを思う。

「元気でやっているか?」との、家族のことばよりも、「おかえり」との、ファミリーのことばを摑む。遠くの親戚より、きんじょの地縁。

そして、僕の選び取ったファミリー、彼ら・彼女らの生きる地方(端的に横須賀と千葉だ)と、血族の地方(率直に福岡だ)をつなげている。

そうだ。僕は今でも「東京」を愛している。あの、無駄のない、余白のない、アスファルト。「無縁」の完全なる真円を常に目指そうとする飽くなき自己研鑽の、都市を。そうだ。

東京:都市
東京以外:地方

うむ。

【東京とは次男の系譜である】

むむ。

飛躍が甚だしい。

だから

(中略)

ひと、様々事情がある。立場がある。境遇がある。一方で、夢がある、希望がある。責任がある。皆、何かに「挟まれている」。多くのおとなたちは、振り切って力強く生きている。そういう風に、見せてくれる。ちゃんと、「大人」を演じてくれている。でもその立派な面からは見えない、こどもには見えない、過去の逡巡や躊躇い、後悔や諦観があると、僕は感じ取る。そこに、丁寧に、マナーを守り、靴を脱いで立ち入りたい。そういう面を見るのがたまらなく好きなのだ。そのためには、僕も大人になる必要がある。少なくとも「大人」を演じようとする必要が。これらに、僕は過去との和解の兆しを見る。

【昭和史】

大人たちは、皆、昭和である。中には、平成の大人もいる。ただ、どこか昭和の匂いはする。

生まれる時代・場所・境遇・容姿=選べない

選択肢の無いことや少ないことにクレームをつけて、こどものままでもこの世は生きられる。

選びようのない人生を受け入れようと頑張って、頑張って、頑張ってきた、こどもを今更に、責めようとは思わない。

どういう態度が、寄り添うことなのだろうか。

具体的な行動として。

仕送り?

やっぱ、金か。

金でこどもたちを制圧だ!!!

バイトに行こう!!!

デーデ・デーデ・デーデ♫

追記:結局が薬局、僕は自分の問題を多角的に、分野の垣根を越えた学問領域から捉えたいのだ。ある種のリスクマネジメント。ある種の優しさ。ある種の弱み。越境者の試み。心理学や医療(西洋医学)だけに頼らずに、社会学、歴史学、文化人類学、民俗学、伝承文学、東洋医学。頼るべき、よるべは、本の中に溢れている。人間の知能が人間の端くれたる僕を苦しめるのであれば、毒を喰うならなんとやら、人間の培ってきた知性でその苦しみを超克したいのだ。そして、その知性の周縁には森や川や山や海、風や月や太陽が居てくれて、本の中にも本の外にも誰かが居てくれている。「自然」は自身の内にも、外にもキリリと建っている。そして、僕の通し柱は幸いにも、致命的にまでにはシロアリに喰われてはいない。だから、腐った部分をそのままにしてても大丈夫だし、そうしたかったら、新たな材と挿げ替えても良い。新しい臭みも、発酵腐敗する臭みも、臭みは臭みのままに受け容れる。

いづれ必ず暮れゆく我々の不毛でバカげている営みの球体に、一日一生、磨きを入れることしか、ある種、ない。

自分磨きと磨きあいっ子。

どちらも包み込む「楕円」を頭に置いて。