品貧生活研究所

目標︰アルバイト卒業【1L2CK.YOKOSUKA】(イベント・レンタルスペース)/毎月第三土曜日【贈与喫茶Mr.エレファント】(無料カフェ)/毎月最終土曜日【哲学カフェ横須賀】/【なんでもやっとうと?】(便利屋)⇒「あなたの小銭が必要です」

自分ではない子どもから「絵」の描き方を教わる

どうも。

あなたの腸内はどうですか?

僕、胃腸は弱いほうです。

幼稚園、小学校、ウンコ漏らしでした。

今でもたまに夢に見ます。

なんでかは、今は知っています。

当時は知らなかった。

何ごとも勉強です。

そう。

僕の町内は良好です。

【養子】

「子ども」である自分から解放されたいです。
「おとな」に成れば解放されるのか。

自分を解放するために、この世に新たな生を創り出すことに、何の躊躇も感じない大人を僕は、ずっと、軽蔑して生きてきました。

自分の子どもという所有感に疑念を抱きます。

ただ最近、そう思わなくなっている自分を見つけます。少しの驚きと共に。

十歩譲って、養子縁組することには、好感を覚えます。「血」を越えた「縁」をそこに見るからです。

安直ですが尊敬します。ある種の大人の在り方の一つとして。人を一人養うために、自分の命を捧げる。大げさではない。凄いことです。僕にはきっとできない。たぶん。

【町内の子どもたち】

町内の人が可愛がってくれます。モノくれます。食いものくれます。酒くれます。奢ってくれます。挨拶の言葉をくれます。なんでかな?考えなくていいけど、きっと僕が子どもだからなんじゃないかな。

【子どもをやり切る】

シロクマの屑籠というブログ(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/)をやられている、熊代亨さんが書籍で書いていたことを、僕は信じています。

《大人になるためには、子どもをやり切れ》

という見立てです。

それを僕は、「よく遊べ」と変換しています。他人の言葉をそのままには受け取らずに、変換することが僕の短所であり長所なんですが。

それで、今僕は、僕と同じ「子ども」おじさんたちと一緒に遊んだり、おとなたちと遊んで貰ったりしています。

「子ども」を演っています。今。そして、徐々にですが、演技性も薄れてきています。

もっと、もっと、「遊んで」透明になりたい。

【あーそびましょー】

僕は、小さなころ、大きくなってからもずっと「あーそびましょー」を言ったことが無かった。記憶にない。何故か?母が悲しむから?それは、分からないしさ、

「君は考えなくていいし、《それ》が、余計なことなんだよ。」

【あーそびましょーへの挑戦】

だから今僕のやっていることは結局、「あーそびましょー」なのだ。

「お姉さん今何待ち?」という「あーそびましょー」の方にこそ、その実関心は高いがしかし、エクスキューズプリーズ。

それだけでは、僕の「ANA」は跳べない。

だから、きんじょの子どもに会ったら、自分から声をかける(勿論、親御さんがいる前でね)。声をかける?さみしいから?それでいいのだ、誰かそれを止める?

【自然】

先日町内会館で、自分ではない子どもと遊んだ。おとなたちが、真面目な顔して会議してる中、僕らは遊んだ。子どもとはなんて、ナチュラルテイストなんだ。自然なんだ。それゆえしつこい。そしてそれを気にもとめない。このしつこさが、子育ての大変さなんだなって、子どもの僕は想像した。

だから、その自然さゆえに、如何に親の言葉に影響を受けやすいのか、実感した。

「そうか。こんなにも、子どもは…。だったらさ、もう一切合切しょうがなくないかい?どうだい?」

【絵描きさん】

懇切丁寧な絵の指導を受けた。

2歳「こうやってこうやってこうするの」

32歳「はい」

2歳「じゃあ、やってみて」

32歳「はい」

〜〜〜

先生、僕も僕の信じる「絵」を、書きます

誰にも遠慮なく

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→先生の御手本は、僕の小賢しい銭勘定を塗り潰した。さすが先生。字読めないにもかかわらず。

また!