品貧生活研究所

目標︰アルバイト卒業【1L2CK.YOKOSUKA】(イベント・レンタルスペース)/毎月第三土曜日【贈与喫茶Mr.エレファント】(無料カフェ)/毎月最終土曜日【哲学カフェ横須賀】/【なんでもやっとうと?】(便利屋)⇒「あなたの小銭が必要です」

無の1年

おはようございます。

お元気ですか?

今日は暖かいですね。

無職になり、まる1年が経ちました。

【概要】

☆楽しいのは最初の2週間くらい
★その後はさまざまな不安の到来
☆「暇」がもたらしてくれた、分かったこと
★終わりへのカウントダウン

±0な1年でした。

【変わらなさ】

無職前、無職後にかかわらず、朝起きるのは辛く、酒の味は変わらずに苦く、夜の闇はふかい。

有職生活も、無職生活も同じ「生活」であることが分かりました。つまり、仕事を辞めたからといって、自分の問題が「ガラリ」と音をたて、変化することは無い。ただ、日々が過ぎ去るのみ。

【消去法的利点】

しかし、利点として良かったことがあります。「無」だったから良かったこと。


それは、働くことで傷つくことが無かったことです。


なぜなら、働いていないから。僕にとって、働くとは自分の精神や気持ちや身体が削られることであり、その削られた肉片と等価交換として、それに見合ったお金を得ていました。大きく切り取られると紙幣を、小さな傷には小銭を。

【うしろめたさ】

この1年、働くことで自身を削られることはありませんでした。そして、働かずに「保険」として、お金をいただき生活してきました。だから、計算上は+で決算を迎えるはずでした。自分の身を切り売りせずに、金だけは得られてきたのだから。でもそうじゃない。それはここに、うしろめたさを感じていることが原因の1つかなと、思います。

【働かざる者食うべからず】

勿論、明文化された「権利」を行使して得ているお金なので、ルール的な問題はない。でも、今までに、自分を削らずにお金を得たことがないからか、「働かざる者食うべからず」という世間の声が強いからか、日々晴れ晴れしくない。胸を張れない。ここで言う世間には、僕も含まれている。僕自身「働かざる者食うべからず」と思っているのだ。

【無条件の生の肯定の否認】

「人は生きているだけで良い」と人様や自分自身に言いたいくせに、実は腹の底では「働かざる者食うべからず」と思っているのだ。こういう観点からも、1年を経て立っている地平に変化がない。

【とは言えども言えどもの視座】

ただ、1年を経て得た、ものの見方はあるのだ。

「俺(僕)にも問題があったけど、君(会社)にも悪いとこ有ったよね?」ということが思えるようになった。だから、

「俺(僕)も頑張って変わるからさ(変えられる部分は)、悪いとこ治すよ。だからキミ(社会)も努力しようよ、一緒に」

「ね?もう一度も俺たち(僕と社会)もう一度もやり直そうぜ?」

白か黒ではない、0,100ではない、折り合いをはかろうと思います。

要するに、仕事で言えば、自分自身を(極力)削らない働き方でお金を得てみるという、新たな地平へ踏み出すことです。その地平では、たぶん等価交換的な生き方ではない、贈与のムーブが見られるのだろうと思っています。「働かずに=自分自身を削らずに」生きる道があるのかもと、ドトールの220円のブレンドをすすりながら、想います。

カウントダウンは始まっていて、不安と希望の±0です。

また、お会いしたときに。