品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

言葉を鍛えるための課金 ラストベット

半年間(計5回)、文章を習う教室に通っていました。リスペクトしている作家が主催している講座で、都内の喫茶店にて行われていました。

宿題として文章を提出します。その文章を作家、受講生と共に感想、意見を言い合うというスタイルの文章講座でした。お金を払って、人に自分の文章を読んでもらうという、初の体験となりました。3回の宿題講評すべてに通底していたのは、僕の文章の「読みにくさ」でした。

文章を読むのには、苦痛を伴います。エネルギーを使います。さらに、素人の文章を読むのは苦痛です。そして、それが読みにくい分類のものだとなおさら、苦行と化します。僕も今回、同じ素人受講生の文章を読みましたが、なるほど、苦しいものもありました。また、今、この文章も苦痛でしょう。不思議なもんで、自分では気づけないんですね。書き手はいつも、話者はいつも自分自身の「悦」に入ります。僕も。

読みにくい文章は読まれない。
自分よがりな文章は読まれない。
「これは私のための文章だ」と思わせることのできない文章は、読まれない。

読まれないと、伝わらず、他者や世界と繋がることができません。

分かりやすい文章を書きたいですが、僕は分かりにくい(自分でも分からない)ことを伝えたいです。書きたいことが明確ではないという、その分からなさが僕の文章の、僕という人間のアイデンティティでもあります。屈折しています。そう僕は思います。ただ、「分からなさ」や「戸惑い」が良くも悪くも僕なのだと。だから、読みにくさを排除すると僕は消えてしまうのではないか?という恐怖や警告、僕から僕への内部告発があります。

しかしこの講座を受けて、文章を書きましたが、書くたびに自分が規定されていく感覚を覚えました。自分というものが、文章によって限定されていくのです。他者が読むと分かりにくい文章のままなのですが、自分自身が自分にとって、より「分かりやすく」なります。自分への発見があります。

混沌としている世界や自分を、言葉と文が整理してくれます。これは、自己治癒だと思いました。そして、半年経た現状、自慰行為と自己治癒の域を超えてはいませんが、自分で自分のことが、少し分かりやすくなりました。自分の混沌を、混沌のままに、他者に提示できる可能性も少し感じました。

また、基本的にけなされることが多かったのですが、逆に(課金効果か)「褒め」の言葉もいただきました。ああ、褒められると、特に自分が尊敬している人に褒められるのは嬉しくて生きるチカラになるんだなとの、貴重な体験ともなりました。

リーダブル(読みやすく)で、親切で、ユーモアがあり、人間の闇が見える、そのような、相手や世界に繋がる「橋」のような文章が目標です。

以上、現状、満足、満足・・・