品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

『働くことの哲学』:第1章:棚橋弘至の情熱大陸

ギリシア人たちは、さまざまな種類の労働を、それがどの程度の肉体的犠牲を強いるかという観点で分類するようになる。当然、もっとも身体的な拘束をもたらす労働がもっとも卑しむべき労働とみなされる。p34

  昨日、情熱大陸を観た。新日本プロレスの棚橋弘至の回。神である、僕の、プロレスの。僕のプロレス界への入口は棚橋弘至だから、どうしても贔屓目に見てしまう。会場に行くとやっぱり一番に棚橋を応援しちゃう(今年のG1決勝は除く)。僕はまず、オードリーのラジオを聞き、若林の「西加奈子の棚橋押し」エピソードトークに感化せれ、『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』 (飛鳥新社)を読み、ようやく後楽園ホールに足を運んだくちだから、棚橋の熱→西加奈子の熱→若林の熱→私←棚橋の言葉,という相関図を勝手に描いている。

 情熱大陸でもいかんなく表現された、棚橋の勤勉さ、プロレス愛と、それに付きまとう身体的な苦痛。そんな棚橋は卑しいか?そんなことはない。

肉体的な犠牲を捧げる美しさがある。

ギリシアの哲学者たちは、総じて身体を駆使する経験やスポーツにかんしては肯定的であった。じっさい、プラトンはレスラーでもあった。もともとの名前はアリストクレスと言ったが、私たちはプラトンに、つまり、「がっしりしている」もしくは「肩幅の広い」といった意味のニックネームのほうでなじんでいる。p34

【今日の結論】棚橋弘至はプラトンである。

 

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 ↑ちゃんこの、豚肉の脂身をえり分けるシーンがおもしろかった。

 

*引用は、『働くことの哲学』ラース・スヴェンセンより。