品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

「鈴木みのる」という大人

DESTRUCTION in BEPPU 2018年9月17日 大分・別府ビーコンプラザのメインイベント:内藤哲也VS鈴木みのるを見た。

 

今まで10回生でプロレスを見た事がある。

鈴木みのるとの遭遇率が高かった。

後楽園、両国、体育館いずれにも彼は出場していた。

彼のリングイン時の、「風、に、なれ~♪」のくだりも3回目には、僕もみんなと一緒に口ずさめた。

 

なんか偉そうな人だな。

「軍」とか組んでるし。

その程度の印象で、

最初の頃は、

「特にありません」、でした。

 

しかし、3,4度目に彼の試合を見た時のことは、覚えている。

「教育者」としての彼の姿を。

 

鶏の孵化には親鳥と雛の協働によってなされる。雛が卵の内側から殻をつつくと、親鳥が外から殻をかみ破る。これを「啐啄」と呼ぶ。「啐」はつつく音で、「啄」はかみ破ることだ。禅宗ではこの啐啄をたとえに、師と弟子が心を合わせることを「啐啄同時」と言い、このとき悟りが生まれるとしている。*

 

インディーズ団体の新人に、特別に鈴木様が稽古をつけてあげようという感じの特別試合で、雛は全力で自分の殻をつつき、鈴木様もまたその頑張りに合わせるように、小突いてあげていた。確かに、少しではあったけれど、殻が割れたような気がした。これが啐啄(そつたく)か。

 

役割を演じることがプロレスである。

 

そのプロレスの中で鈴木みのるは「大人」を演じている。

(『大怪獣モノ』という映画でも、鈴木は最終形態を演じていた)

 

今、50歳の鈴木。

 

自分の殻を破るのにしかるべき大人の力を頼ることは、僕は良いことだと思う。なぜならば、経験的にだが、僕は50歳の大人たちの強さを見せつけられてきたからだ。バブル世代という共通の時代背景はあると思う。大いに関係するだろう。これまた感覚的だが、一回り上の就職氷河期を過ごした40歳の大人には感じない強さがある。僕よりも二回り上の世代の持つタフさには、かなわない、と思わせる力がある。敵に回して、やられた。こっちは、有効的にはむかっているつもりだったが、しょせん、彼らの掌の上だった。「レヴェルが違うんだよ!」とは、直接には言われなかったが、明らかな差は自分でも感じた。だから、胸を賃りるというのが、僕の教訓である。そしてまた、彼らの中に残る、「義」にこそ僕は「大人」を見出す。肚も黒かったり、強欲さを持ち合わせていたりするがしかし、タフネスでカッコイイ大人。自分の役割を演じている大人。そういう大人がいることは、僕は良いことだと思う。

 

そんなことを、内藤哲也(36歳)と鈴木みのる(50歳)の試合を眺めながら、思った。

 

*『半農半Xという生き方』塩見直紀 p187より引用