汐入谷戸品貧(ヒンヒン)生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

読書レポート:『デリヘルドライバー』東良美季

貴賤

 

線と色の二元論的な対立の歴史がある。

文明の中と、個人の中に。

 

「色」への興味を否定して、「線」だけで生きてやろうと思っていた。しかし、「やろう」と構えていた時点で無理と嘘が在ることに気づいていた。気づいていた、無謀な試みだとは、分かっていたのだが、とにかく、線を引っ張ることが人の「生」だと言い聞かせた。線だけで生きる人にうしろめたさを感じたからだろう。

 

ただ、一度その嘘を認めてみると、

楽になり、

人の生の通りが良くなった。

線も大事だが、色も大事だ。

なんなら、

すべては「色」を得るためである

バロックとデカダンスへの憧憬を、

部屋に飾ってもかまわない。

 

でも、観念の世界から、現実世界に戻る僕には、バラック屋根に今日も「トタン・トタン」と掏摸がすり抜け、気づけば、デカいタンスを貰った春は180°彼岸の谷に見える。ギャップに気も下がる。

 

勤勉

 

若いということはもちろんあるだろう。ただ、この本の取材で出会ったデリヘルドライバーたちはさまざまな種類の風俗で働いた経験を持つが、共通しているのはとにかく勤勉であることだ。休みたいとか、楽をして稼ぎたいというような言葉は、誰の口からも聞かれなかった。p75

 

色と金が観念連合として結びつく。されば、色を求めんば、金を得ずにはいられない。しかし、色や金とは距離を置いた、勤勉さと平安の姿を僕は横須賀で見る。世間にはまだまだ自分の知らない様々な連合があるということを、知る。ただ、スタイルは自らの意志でチョイス可能のような錯覚に陥るが、スタイルは自分で作り上げるしかない。しかも、作りあがるものであって、僕の大大大大大好きなパンと一緒で、窯にぶち込まない限りは分からない。その、ぶち込もうという気持ちを、例えば、僕は人の勤勉さから貰う。人の勤勉さは、他の人の胸を打つと、僕自身経験してきて、他の人にもそうだと信じてやまない。

 

ある者は、週一休みで、

 

出勤は午前九時。開店は午前十一時からで、閉店が午後一〇時なので午後十一時過ぎまで、早番遅番はなかったので働きづめに働いた。p151

 

ある者は、今だ休まず、

 

千葉の店の店長を任されたのが二カ月前。それから一日たりとも休みを取っていない。今日もこれから出勤だという。p274

 

ある者は、立てなくなるまで、

 

ある朝、ついに体が動かなくなった。地球の重力が突然何倍も強くなったかのように、ベットに押し付けらてつぶされるように感じた。p79、p80

 

上り電車・下り電車

 

チョッキ「下ることはいつでもできるから、今は上れば良いのではないですか?」

僕「そうですよね(でも、二の舞は見えている)」

 

改札までは入れる。

さあ、品川を目指すか、横須賀中央を目指すか。

または、改札を出るか(定期券だから)

 

どれでも転びそう。

だが、「何度でも立ち上がれば良い」と、この本の男、女、おなべ、ら市井の人々の言葉が背中を押す。ダイナミックな「大丈夫」を貰う。対:僕に対して、上位性が無いから、本(著者)の声よりも、市井の人の声は染み渡りやすい。ただ、その市井の人々の声もまた、本の声であるのだ。

 

本だ。本田。本田△。

 

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例えばプロ野球でも高校野球でも、相手ピッチャーにノーヒットで抑えられ、一〇対〇で負けているチームは、絶対に一発逆転なんかできない。だからバッターが力んでホームランを狙ってもまったく意味がない。空振りして三振するリスクが高くなるだけだ。だったらまずランナーを塁に出すこと。人生も同じで、悪いときに一発逆転を狙うと、大怪我をする確率の方が高い。p229

 

→「努力」を正面から見る時が来たのだ。10年越しで。

 

*引用分はすべて表題作より