汐入谷戸品貧(ヒンヒン)生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

読書レポート:『半農半Xという生き方』塩見直紀:レポート前編

F3とF1を教わる

 

F1レースは知っている。

 

「フーンッー!」(音速)

 

F3レースは知らなんだ。

 

「へーえ~」

 

Jリーグみたいな感じか。

 

F3の元レーサーの隊長から「F1種」というのを教わった。

なんかいろいろと問題があるようだ。

そもそも、タネに種類があることすら知らなった。

その隊長から貰った本が、『半農半Xという生き方』である。

 

半農半Xとは?

 

「半農半X」とは、農的暮らしを実践しつつ大好きなことを追求すること。

 

*表紙カバーの裏側バーコード面の文より引用。 

 

半自給的な農業とやりたい仕事を両立させる生き方を、私は「半農半X」と名付けて提唱している。

 

*本文第一章書き出しより引用

 

 

半農半Xということばは私たちが向かうべき二つの軸を示している。

 一つは人生において農を重視し、持続可能な農のある小さな暮らしを大切にする方向だ。もう一つは与えられた天与の才を世に活かすことにより、それを人生の、また社会の幸福につなげようとする方向だ。

 

*文庫版まえがき冒頭より引用

 

さらっと、

自分で喰べるものを、自分で作って、残りの時間でなんかやる

、というくらいの見方を僕はしている。

自給自足への憧れはある。

だが、人生をかけて、すべてを投げうってまでのガッツは僕には無い。

投げうって捨てるに値する何かを持っている訳でもないのだが。

だから、半農くらいがちょうど良い。

言えば、「半々農×半々Y×半X」くらいが現実味はある。

例えば、一年のうち夏だけは野菜を自給するとか、米だけは自分で作るとか。

やったことがないので、何とも想像の範疇を越えないが。

 

 

約20年前、著者の塩見さんは、自分の家で自給農を始めて、自身の食糧自給率を上げつつあり、それに喜びを感じていた。

ところが、

 

あるとき、それは「完全な自給」ではないことに気がついた。なぜなら、野菜のタネのほとんどは、毎年、いや永遠に種苗会社の交配種(いわゆるF1種=一代交配種)を買い求めなくてはならないからである。

 種苗会社の掌の上で「農」をしていることに愕然とした。 

 その種苗は化学肥料や農薬の使用が前提となっていたり、自分でタネを採取せず、次年度も購入せざるをえない仕組みになっていたりするのだ。かつての自然(在来種)のタネはタネから育てた植物からとったタネで次世代の植物を育てられた。いまや次世代にいのちをつなぐという生命の本質からかけ離れたものになっている。「種子を制するものが世界を制する」という種子ビジネスの渦中に私たちがいることを知ったのである。

 

*p129、130より引用

 

種苗(しゅびょう)・・・植物の種と苗。

広辞苑第七版

 

象徴としてのF1種

 

今の世の中はすべてが一代限りの発想になっている。

*p132より引用

 

F1種は自然に反する存在のようだ。

また、お金を必要以上に儲けようとする考えと結びついている。

僕が興味をそそられるのは、F1種の与える害の要素ももちろんだが、以下のような、象徴としてのF1種である。

 

人間はタネをF1化してしまい、そして、自らの心もF1化してしまい、自分たちが最後の世代のようにふるまってしまっている。

*p135より引用

 

正義役と悪役

 

 

何かを好きだと言ったからといって、言わなかった別の何かを嫌いだ、とは言っていない。

(一般論は続く・・・中略)

 

地球環境を考え、次世代のことを考え、自分のできる範囲のことに尽力し、日々を一生懸命精いっぱい命を燃やそうという、立場を「正義役」とするならば、「愛と平和」がスローガンだ。

 

一方、地球環境、次世代なぞのことを考える時間は無駄。自分の生きている間だけがオレの人生だと、自分本位に生きることを「悪役」だとしよう。スローガンは「私利私欲」。

 

ポイントは、この役は、逆でもいいことだ。

 

自分たちで自分たちだけ(もしくは周囲の仲間)が喰う分だけ食べ物を作り、質素倹約に食費を抑え、華美を避け、金を嫌悪し、消費しない。税金もろくに払わず(比較して)、経済活動の潤滑を鈍らせる、ワガママな邪魔者。しっかりと活用する「インフラ」や「優遇措置」は、自分たちが嫌悪しているF1種の野菜を食べている人々の生活のお陰だ。自分たちが避けている「F1種的なもの」に依存する形でしか、君たちは存在できないではないか。そういう見方もできる。

 

お互いが、お互いにの正義を信じて、

「あいつよりはましだ」と思い合う、

 ヒールとベビーフェイスは、

手を取り合えるのか?

 

ダウンシフティング

既存の幸せの型は強固だ。

時代は変わる、変わると言いつつも、その型で現に幸せな人が大多数なのだから。

「金とモノと成長」という強固なシステムがあると思う。

年収を増やし、良いマンションを買い、自分の能力を高め続けつつ子どもを育てる。

それはそれで良いのだ。

否定する必要もない。

問題なのはワタクシ、そういうシステムが肌に合わないみたい(アトピーが出て、腹を下す)。だから、新しい型を選ぶなり、作るなり、模索しなければならない。何よりも模索大好き!何よりも生存のために。

 

生存が生きる目標です。

 

ダウンシフティングとは、下方移動の意味だが、自発的に仕事の量を減らし、自分の自由な時間を増やすという考え方である。

 サラリーマンなら週に三、四日働いて、あとは家庭や地域社会で過ごす時間に力を入れる。要は、自分に合う充実した暮らしを最優先にする。収入は減り、地位も上がらないが、生活の充実感は高い。

 

p151より引用

 

甲「フリーターじゃん!」

 

乙「GU、服売らないってよ・・・」

 

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