品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

『ナナメの夕暮れ』若林正恭 感想

 

若林正恭というヒント

ずっと、TBSラジオを聞いてきた。

ある年を除いて。

その年、僕はTBSラジオの入らない地方にいた。

radikoの無い時代。

 

その地方で僕は「ダメ」になり、今の僕に繋がる。

 

どんどん、日に日に、目に見えて「ダメ」になっていく、後退戦の日々、ずっと、そのラジオ番組を聞いていた。

スマホも無い時代。

 

 

録音機能付きのラジオで繰り返し、繰り返し聞いていた。

その番組のみを録音した。

家にはTVは無く、ラジオとガラケーで見るヤフーニュースと自分磨きが、日々のごまかしだった。

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自分のトークで、その都度自分で笑う。

それは自信の裏返しか、不安のそれか。

分からない。

とにかく、その男は、「むきだし」で話していた、毎週、毎週。

その男に自分を投影していた。

そう生きられない、そう生きていない自分を。

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極私的な敗戦後、TBSの入る都市に戻ってからも、その男の「慟哭」を聞き続けた。苦しさ、イラだち、いやらしさ、喜び、全てを笑いに変える「慟哭」を。

 

敗戦後の僕にはそれは癒しだった。

なぜなら、その男の抱える、苦しさ、イラだち、いやらしさを僕も持っていたからだ。だから、その男を追いかけた。文章、音源、映像。ラジオ局にも行った。記念イベントにも行った。影響を受けて後楽園ホールにも行った。時には、女装してライヴに行った(オークションで落としたチケットの名義が女性だったから)。日夜、その男を「なぞる」ことで、自分を埋めていた。

 

しかし、数年たったいつからか、その「自意識」がいやになった。

なぜなら、その「自意識」を僕も持っていたからだ。

自分を避けるように、その男を避けた。

 

第一ボタンを何の疑問も持たずにしめられる人は、きっとなんの疑問も持たずに生きていける。

だけど、疑問を持ってしまう人は、「自分探し」と「社会探し」をしなければ、「生き辛さ」は死ぬまで解消されない。

自分は何が好きで、何が嫌いか。

自分が何をしたくて、何をしたくないか。

「めんどくさい人」と言われても「考え過ぎ」と何度言われても、

この国を、

この社会を、

この自分を、

解体して解明しなければ一生自分の心に蓋をしたまま生きることになる。

 

ああ、その通りだ。何年ぶりの再会かな。

オレは「自分さがし」と「社会さがし」をしてんだ。

この人の自意識はオレのそれなんだよな、やっぱり、と思った。

子どもはいい子でいないと、成績が良くないと、スポーツができないと「親に愛されない」というプレッシャーに常にさらされている。その期待に応えられないことは愛されないことに繋がる。子どもは自分で稼いで飯を食えない。親に食べさせてもらうしかない。だから、親の期待に応えられないということは子どもにとって死を意味するほどのプレッシャーなのだ。親の期待を感じやすい性質を持っている子どもや、親の期待が過度な家庭の子どもはそういった重圧に常に晒されている。

 その期待に応えられなくなった子どもはどうするのだろうか。君は学業やスポーツや芸術などのポジティブな結果で愛されることが叶わないと悟ると、ネガティブな結果でもって親の注意を引こうとするだろう。

人を殴る?

原付を盗む?

タトゥーをいれる?

 何をして親の注意を引こうとするだろうか?警察に捕まって、警察署に迎えにきた親が泣いているのを見て君は思うだろう。「涙を流す程度はギリ、自分に注目しているのだな」と。それすらも叶わない場合、暴力性をさらに加速させるだろうか。

 たとえいい子で、成績が良くて、スポーツもできたとしても子どもは気づいている。これを維持し続けないと愛されないのだ、と。ありのままの自分では愛されないのだ、と。

 そんな君はずっと苦しかっただろう。親はその子のありのままを愛してあげるべきだった。でも、それは親だって難しいことだったのかもしれない。だって、親自体がそのまた親の期待に応えないと愛されないというプレッシャーに苦しんできたのだから。条件付きの愛しか知らないのだから。

 後出しじゃんけんは承知の上で、半年前、僕はある人にメールを書いて、一晩寝て、結局送らなった文がある。以下だ。

 人は(特に子どもは)、頑張って努力して、他人からの評価や誉め言葉をもらって、それを、生きるためのエネルギーにしています。だから、子どもは多少の無理をしてでも、頑張って、他者に、親に褒められようと頑張ります。

 頑張らないと受け入れられない。学校の先生や親(子どもにとってそれはほぼ、「世界」です)に自分という存在を、認めてもらえない。

 この構造は、頑張れない子ども、「周りの大人が考える頑張り」に適合できない子どもを排除します。これを僕は間違っていると思うのです。

 子どもは(もちろん大人も)、無条件に、その存在を認められるべきなのです。

頑張らなくたって、駄目だって、

「ただ、この世界に、いる」。

存在する。

それだけで、他者や世界に受け入れられるべきなのです。

理屈なしで。

 

では、今から一緒に理想の自分を殺す得を作ろうではないか。

 自分の理想を殺すこと。あるべき自分を殺すこと。期待される自分を殺すこと。期待する自分を殺すこと。

君がずっとハシゴを上って同化しようとしている理想の自分?天才?特別な人?

僕にとって、若林正恭は天才で、その天才は、またその天才の考える天才になろうと苦しんでいた。しかし、若林の見た天才は絶望に怯えるひとたちであった。天才になること(理想)を捨てた若林は以下の提案をする。

ぼくが聞きたいのは「君はそれでも天才に憧れるか?」ということだ。ぼくは天才になれないという能力的な限界に絶望する前にこんな解釈(回避)をする。それは「君の理想とする天才と呼ばれるような人はカッコ悪い」という強引な決め付けだ。

 右記のようなカッコ悪くて不健康な天才になるより、地点は低くても等身大の自分の方がユニーク(気楽という言い方でも良いだろう)じゃないだろうか?という提案だ。

 若林の、生き続けるためのこの提案は、凄い。

生きるためにルサンチマンである自分を許すという強さを僕は感じる。

 自分の場合、その気づきを得るまでに37年もかかった。37年だ。理想の自分に追いつかないことに苦しんでいるから、自分と世界を呪って、人を嫌な気持ちにさせて、付き合ってくれた彼女を傷つけ、いろんな人に迷惑をかけてきた。なんということだ。理想の自分に追いつこうとしているから、今日の自分を生きることはなく、常に未来の理想化された自分を生きている。だから、今日をずっと楽しめなかったんだ。今日じゃない、今だな、もっといえばこの一瞬を楽しく生きてこられなかったんだ。37年もね。「今日の自分は本当の自分じゃない。自分というのはもっと高尚な人間なんだ」と言い訳(逃避)をして今日の自分をないがしろにしてきたんだ。

「本当の自分」という人生最大の逃げ道を殺すことだ。

これは、強い。強い生き方だ。

 

耳が痛い

若林は「しくじり先生」という番組を3年間やっていた。

人生でしくじった人が、その経験を元に授業をするという番組である。

120人にのぼる授業の数々から、若林は以下のことが一番心に残ったという。

自分の弱さと向きあうことが一番難しい

一方で、

自分の弱さと向き合わないことも生きるために知恵だ(死なないための知恵ともいえる)

事実を人から言われることは、事実だからこそそれはうすうす自分で既に分かっていたことで(きっと無意識に気づかないようにしている)、だから受け入れがたく、反発を覚える。

そして、しくじりを回避する方法は次のことだ。

”耳が痛いことを言ってくれる信頼できる人を持つこと”である。「自分ではじぶんのしくじりの種には気づけない」

僕には言ってくれる人がいる。

それでも、自分の弱さを直視することから逃げるために人はそういった苦言を呈してくれる信頼できる人を自ら遠ざけるということも、よくする。

遠ざけるのは子どもだ。

大人になりたい。

でも、うっとおしい。

まだ僕には、言ってくれる大人がいる。

「ウソをつくな、ごまかすな、照れるな」、

そんな風に生きているとお前は「ダメ」になるぞ、と言ってくれる。

その人たちを掴んで離さないことだ。

しがみつくことで、僕も大人になる。

 

セイフティネット

若林の前作『社会人大学人見知り学部 卒業見込』は、彼の「むきだし」が溢れていた。僕の社会人1年目の心情ともリンクしていて、この本もまた僕に寄り添うものであった。そして今回の

『ナナメの夕暮れ』はニンゲン若林正恭の変化が圧倒的に感じられる。

成長と呼ぶのは失礼だと思う。彼の変遷の記録だ。この変遷の過程にこそ、ヒントが眠っている。

 

8年前、このダ・ヴィンチの連載の第一回に「好きなことを仕事にしたから、趣味なんていらない。」というようなことを書いた。

だけど、今は違う。

”絶望に対するセイフティネットとして、趣味は必要である”そう確信している。

 そして、親父が死んでからは本格的に冷笑・揶揄は卒業しなければならないと思い始めた。死の間際、病室で親父が「ありがとな」と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。教訓めいたことでもなくて、内(自意識)ではなく外に大事なものを作った方が人生はイージーだということだ。外の世界には仕事や趣味、そして人間がいる。内(自意識)を守るために、誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっという間に時間は過ぎる。だから、僕の10代と20代はそのほとんどが後悔で埋め尽くされている。

 そんな陰鬱な青年期を過ごしてきたから、おじさんになった今こそ世界を肯定する姿を晒さないとダメだと思った。慣れていないからたどたどしいし、背伸びしている姿は滑稽に映るだろうけど。さっきからずっと良い格好をしようとしているけど「出待ちの男の子に向けて」なんて聞こえの良い話ではなく、自己否定の世界に生きてきた「10代20代の自分のため」なのかもしれない(ここへ来てまた自意識!)

 人と共に生きること、人のために生きることの方が、自分だけで生きるよりも、自分のために生きるよりもイージーなのだ。そっちのほうが、生存確率が上がるのだ。そして、またそれがまた、過去の自分を救うためでもあるのだ。「生」を底の底から、まるっと肯定してやろうとする、意志を、僕は感じ取る。感じるというか、それを、僕は信じたい。

 

スタバと恋人たち

「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」

これこそ、冷笑と揶揄の代表言葉だ。

大体の「うらやましさ」をこの言い方で僕は乗り切ってきた(ごまかしていた)。スタバの恋人たちに成りたいと言えないで、バカにすることで、「価値下げ」をすることで、遠ざけ、(本当は自分はそう成りたいのに)、結果としてさらに遠のいていた。

 

他者に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである。

 昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。

 心の中で他人をバカにしている、正真正銘のクソ野郎なのである。 

 その筆頭が、何を隠そう私である。

 

 me,too.

大学でサークルに入ること。

学園祭に本気で取り組むこと。

海外に一人旅に出ること。

告白すること。

何でも”みっともない”と片付けて、自分は参加しなかった。

 me,too.

それが行き着く先は「あれ?生きてて全然楽しくない」である。

他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う。

そんな、腐れ価値下げ野郎がやるべきことは何か?

若林の答えは、”肯定ノート”を書くことだ。

自分でやっていて楽しいことを書くのだ。

そうやって、「趣味」を見つけることが大事なのだ。

ネガティブな人間は、ネガティブな自分からは逃れらない。

ただ、ネガティブな時間から逃げられる人生の隠しコマンドがあるという。

それが”没頭”である。

 

没頭からの、世界の肯定

若林曰く、没頭できる仕事や趣味は命綱と同等の価値がある。

”好きなことがある”ということは、それだけで朝起きる理由になる。

”好き”という感情は”肯定”だ。

つまり、好きなことがあるということは、”世界を肯定している”ことになる。

そして、それは、”世界が好き”ということにもなるという三段論法が成立する。

 好きなことが見つかった若林(プロレス・ゴルフ・キューバなど)は、次はノートに他人を肯定する文言を書き込んだ。「他者肯定養成ギプス」をつけてまで、若林は歯を食いしばって、肯定を続けた。なぜ、頑張るのか?

 

僕は今回の生で、自分がポジティブになれるなんてミラクルはもう無いと諦めている。

 

 だけど、どうしても今回の生で世界を肯定してみたかった。

 他者への肯定がスラスラ出てくるようになると、不思議なことに誰かを否定的に見てしまう癖が徐々に矯正されていった。

 そうなると、自分の行動や言動を否定的に見てくる人が、自分が思っているほどこの世にはいないような気がしてきた。

「だから物事に肯定的な人は、他人の目を気にせず溌溂と生きているように見えるのか」

 僕が子供の頃から、喉から手が出るほど欲しかった”根拠のない自信”とは、”おそらく自分は他人から肯定的に見られているだろう”というイメージのことだったのである。

 そうだ。イメージだ。

セルフイメージを変えることだ。

ちょっとマインドコントロール的な話になるが、遠くはないことだろう。

この「だろう」という楽観的な心情をこそ、欲しいのだ、僕は。

 

男の歴史とは己のイメージと相克の歴史

*エレファントカシマシ『化ケモノ青年』より

 

自分と自分の対峙を乗り越えて、他者と対峙することだ。

 

自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。

 その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な目線”をやめるしかない。

 グランデと言う人を否定するのをやめれば、自分がグランデと言っても否定してくる人がこの世界からいなくなる。

 スタバに行ってグランデを注文すること。

やっちゃうことで、自分が変わり、世界の見え方が変わるのだ。

 

悩む力

 

スターバックスでグランデと言えなった若い時の自分。

 その自意識過剰は、あり余る体力だよ。

 39歳の今。「あいつ、グランデだって。気取ってやがる」と誰かに言われても、それを気にする体力がない。

30代になってイライラすることが減った。

別段に大人になった気はしないのだが、

それは肉体が大人になったからのようだ。

「おじさんになって体力がなくなると、悩むことができなくなるんだ」 

というのも、男性ホルモンは20歳辺りでピークを迎え、そこから徐々に下降していくらしいからだ。だから、悩む力も減り、イライラが減り、自意識からも

徐々に開放されてゆく。

だから、きっと、生きれば生きるほど生きやすくなるのだ。

 

終点

『ナナメの夕暮れ』は若林正恭の精神史だ。

闘いの歴史だ。

若林の闘い方、ファイティングポーズが僕のヒントなのだ。

そして、”会いたい人にもう会えない”という絶対的な事実が、”会う”ということの価値を急激に高めた。

誰と会ったか、と、誰と合ったか。

俺はもうほとんどの人生は”合う人に会う”ってことで良いんじゃないかって思った。

もし、あの年、あの部屋に、あの電波が入ってこなかったら、僕の敗戦の形は、違ったものになっていたかも知れない。たらればの、可能性の話でしかないが、僕はもしかしたら、この男に救わていたのかもしれない。

 

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 ↑2019年3月日本武道館に行こうと思う。

 

引用はすべて『ナナメの夕暮れ』若林正恭 文藝春秋より 

章立て順に、

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p128/p129/p130.p130

p142.p143

p146/p147/p148/P149

p153/p153/p156/p157

p195.p195

p217