汐入谷戸品貧(ヒンヒン)生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

読書レポート:『働くことの哲学』:第1章:化ケモノ青年と『仕事と日々』

 神々もひとの子らも、生来モンスズメ蜂のように仕事をしないで暮らす輩には、ひどく立腹する。*1

 

スズメ蜂って、雄蜂は全く働かず、雌蜂が働き蜂となるそうだ。

 

仕事はちっとも恥ではない、怠惰こそ恥だ。*1

 

労働は以下の、A対Bの闘いである。

 

A:労働は無意味な災いである。

古代~ルネサンス期の支配的な見かたである。

B:労働は有意義な天職である。

ルネサンス期~コンニチまでの支配的な見かたである。

 

支配的な見かたというのは、一概には言えないということだ。上記の引用にある、「怠惰こそ恥」という言葉は、Aの定義に反するが、古代の人の言ったセリフである。言葉とは、文とは、「一概には言えないのだが」を常に内包している。しかし、言い切らないと、先には進めぬ。古代、ギリシア時代への僕のイメージは、奴隷が労働をして、貴族は遊んでいたという、漠然としたものだ。ピラミッド凄いとか。たぶんそれは一概には言えないが、まぁたぶんそんなんだったんだろう。そして、このまぁたぶんこんなもんだろうってのが大事なのだ。その位の感じで発言して、人の話も、同様に気楽に聞くということです。さて、『働くことの哲学』でラース・スヴェンセンは以下のように言います。

 

ギリシア人たちにとって、決定的な区別は、生産活動か非生産活動かにではなく、強制的な活動か自発的な活動かというところにあった。私たちを貶めるのは、労働そのものではなく、あくまである種の労働、すなわち必要に迫られておこなわれる労働だ。(中略)ポイントは、通常の労働者のばあいなにかをつくることは、そうしなければならない、たとえば生計をたてるためといった必然性から発している行為であるという理由からして、彼らを貶めるものとして機能するのにたいして、たとえば貴族がまったく同じものをつくることができるのは、当人がそうしたくておこなっているからであり、この自発的なものである点で、その活動は当人を貶めるものとして機能することにはならないというところである。ある活動がそれにたずさわる人間を貶めるものとみなされるかどうかは、それを遂行するひとの社会的地位による。 p32、33より

 

スヴェンセンは、イスを例に出すのだが、ざっくり言えば、

 

金持ちが遊びでイスを作ることは貶められることではない。

金持ち=自由

 

大工ががイスを作ることは、経済的な必要性からだから、貶められている。

ライスワーカー

=飯を喰うために働く人)

=不自由

 

働くことは、社会と、自由と、金と、飯とに密接に関係しているんだなと、本を読んで(p33まで)分かりました。

 

♪♪♪

 

アノ19世紀以来今日に至るまで

この国の男の魂はいつだって右往左往

アノ 生まれた時から化ケモノ青年よ

生まれた時から男の歴史とは

己のイメージと闘いの歴史

生まれた時から男の歴史とは

己のイメージと闘いの歴史

努力が悪い!

怠惰が悪い!

働け~!

化ケモノ青年!

(宮本浩次の慟哭) 

*2

 

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 *3

 

蜂と言えば、サンドウィッチマンの蜂駆除のコントがおもしろい。

 

 

*1『仕事と日々』・・・『仕事と日々』は紀元前七世紀に書かれた、詩人ヘシオドスの著書。『働くことの哲学』ラース・スヴェンセン 小須田健訳 紀伊国屋書店P31よりの孫引き。

*2 エレファントカシマシ『化ケモノ青年』COUNTDOWN JAPAN 04/05  2004年12月30日版より引用 

*3 ブログ:枯れ木も山の賑わい:枝葉末節な日々よりモンスズメ蜂の写真を転用→http://jidaraku.blog.shinobi.jp/Entry/525/