品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

マスターと西瓜とオーヘー

或る晴れた夏の日の出である。

私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。 p34
*『蜜柑』芥川龍之介 新潮文庫より引用。今後の引用はすべて同書より。

 



やることがない。だから出かけるのだ。

勇気をつかむのだ。 少なくとも5,000円分の勇気をつかもう。吝嗇だから貪欲になれる。課金だから必死になれる。金の重みが臍下丹田を、体の内側から、真下へ、肝を落とす。ケチだから、電車に乗ると車両の端から端まで空いている席を探す。ケチだから、牛乳は腕を伸ばして後ろから取る。ケチだから、割りばしを2人前貰う。ケチだから、時間一杯になるまで元を取ろうとする。ケチだから、苦しくなるまで食べて、吐く。ケチだから、言葉を吐き続ける。自分がカラになるまで。そして、そこに「愚問」が生まれる。課金で生まれる最大の獲得物は「愚問」である。

この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋まっている夕刊と、―これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。p36

 



8月13日「死者は心(しん)と物に宿る」
その部屋には、トイレットペーパーが23袋あった。276本の芯は、悲しみの象徴と言えるだろうか?また、ホコリを、かむった、写真立てはどうだろうか?二人分の物をクリーンセンターへ運ぶ。二往復。煙突からは白い煙が出ている。

8月14日「マスターとその先生」
その先生曰く、公式は覚えないこと。人は覚えようとするとき、考えることをやめる。覚えないですませる方法は、背後の物語を見ること。唯一覚えて良いことは、公式の証明方法である。

8月15日「花火と間」
都市の花火はセワシナイ。観る人を飽きさせないために、そっぽを向かれないように、気を遣って、嫌われないように、間髪入れずに、次々と放つ。観るものに「間」を与えない。

「どっ、ど、どどどどどどどう?」と擦り寄る感じ。

 

地域の花火は金がないから、

一発一発が遅い。

 

「ドーン」とくれば

→「(ああ、ドーンかぁ)」

 

「どーん」とくれば

→「(実家に帰りたい〈帰れない〉)」

 

「ド、ドーン」とくれば

→「(ミサイルってこんな音なのかな。)」

 

「どーん!」とくれば

→「(嗚呼、どーん!と生け!とは、このことを言っていたのか!)」

 

等、丁寧に虚空を見つめる時間が生まれる。「間」が観る人の中に入り込む。「間」が必要なのだ。都市の花火も悪くない。でも、今の自分にはどちらかと言えばこちらを好む。もう僕は都市で暮らしすぎた。

 

「どーん」

 

8月16日「岩場の対話」

「照れない勇気」。

 

8月17日「西瓜」

朝、西瓜を5切れ、食べ、部屋を出た。

西瓜はあらかじめ、種が抜かれていた。

 

そうして刹那に一切を了解した。p38

 

8月18日「(カリソメノ)了解」

自分のケチさは、相手は気づかないと思っていた。

都合が悪い部分は括弧に入れ、錯覚を呼び起こす。

 

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのである。p38

 

8月19日「オーへー」

B「(やさしさ)!」

A「おー、へぇー。」

 

そうして刹那に一切を了解した。p38

 

8月20日「学習」

拗ねないのココロ。

止めないのココロ。

親分のココロ♪

タガタメに?

それ、オレオレオレ♪

それ、ケチケチケチ♪

 

 

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→皮が厚くなった、夏の1週間の記録。