品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

お茶会レポート:ミスターチンと台風と奇特者

我が隣人ミスターチンは太陽のような男である。器の大きい、人物だ。実、背は低い。159㎝。恰好はルンペン。靴下の底にはゆで玉子位の穴が空いている。眉毛が入れ墨である。(中学2年の頃シンナーを吸っていた時に燃えたそうだ)歩くスピードは常人の半分で、待ち合わせをすると45分~1時間遅れてくる(4回目から彼と「待ち合わせる」ことはあきらめた)。僕の話す情報の4分の3は忘れるが、4分の1は覚えている。よく話す(8対)が、聴く耳(2)も持つ。月6万円のローンがあと6年残っているにもかかわらず、来月から給料が6万円減る(夜勤業務の廃止に伴う)彼は口では困ったと言いはするが、悲壮感が漂わない。一見何も考えずに生きているように見え、しかしたぶん何も考えていない。何も考えていないように見えるからか、ミスターにはニンゲンの「ウラ」が感じられない。緊張がない。自分を繕わない。生きることに理由とか、意味とか、成長とかそういうこと(犬の餌にもならぬ事)は言わない。(言っても一般論。「やっぱり米だけは自分で炊いた方が食費は全然違うから炊飯器だけは買った方がいい」とか、自民党支持とか、親は大事に)そう。自然体。ナチュラルテイストに生きている。ただ、生きている。(ように見える)。そして、社会的に見ればミスターの生活は満足とは言い難い状態であると判断されるであろうにもかかわらず、彼は満足している(ように見える)。今に満足している。だから、一緒にいると、「ミスターに自分はどう思われているかな」とか思わない。ミスターにどう自分が思われようとも、良い。取り繕わない言葉で話せる。(普通の他の人にはしないが)話を遮ってカットインだってできる。会話の作法とか、気遣いとか、思惑とか、人が人と対峙する際の人工的な不自然さを必要としない。おーおーにして、同じ話を何度も聞かされるハメになるのだが、いちいちこちらが反応を示さなくとも、適当に聞いてても、ミスターは気にしない。あんまり僕が見えていないのかもしれない(ミスターはパンチドランカーで眼が弱いから)

 

しかし、確かに僕を見てくれている。

 

 

 

オレはこの男を世に問おてみたい。

 

だから、台風の中はるばる、階段を登って来てくれた方々にミスターをお披露目できて嬉しかった。