汐入谷戸品貧(ヒンヒン)生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

言葉を鍛えるための課金 「あなたの語ったことは、私に別の話を思い出させた」 

「アクションisリアクション」と俳優は語る。

「僕は見ていましたよ」と好少年は言う。

「頑張ろうぜ」と祭主は、がなる。

人の数だけ言葉の発信があり、その受信があり、時折、受信後の応答がある。

氏いわく、「ものごとを、そのままに書いても、物語にはならない。ウソというかたちでしか、表現のできない真実がある。」

太宰いわく、*『言葉といふものは、生きてゐる事の不安から、芽ばえて来たものぢやないですかね。腐つた土から赤い毒きのこが生えて出るやうに、生命の不安が言葉を醗酵させてゐるのぢやないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさへなほ、いやらしい工夫がほどこされてゐるぢやありませんか。人間は、よろこびの中にさへ、不安を感じてゐるのでせうかね。人間の言葉はみんな工夫です。気取つたものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでせう。』

ウソにウソを重ね、苦しむことが物語る要諦であるならば、

オレいわく、「不安さんコンニチワ。安心くん、ごきげんよう(サヨウナラ)」。

*『「言ふ事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」』

覚悟の問題は置いておいて。

やってみるのは、やったのと同じであるなら、なんとなく、ぼんやりと、眼を逸らしつつでも、チューハイ飲んで、タバコを吸って、二度寝してでも、やってみる。

腰抜けとののしられ、亀ののろまと嘲笑され、嘘くさいと蔑まれても。外界に対し、演じて、演じて、演じて、「本当の自分が分からないという」沼にハマるのは折り込み済みの必然であった。俺はまるっとひっくるめて分かってるんだぜと、無理してでも、ポーズだけでも気取らなければならない。それは今も、ここでも。酔狂(すいきょう)の、言い訳と愚痴・泣き言と弱音、そして他の人への憎悪を己に許す。ズボンのポケットにコロッケを突っ込んで街を彷徨う人がいるように、トートバックに眼鏡も裸で、小銭の散らばりも気にせず、濡れたタオルもそのままに、読みもしない本を3冊とにもかくにもぶち込んで、とりあえずドアを開け、なんとなくエンジンをかけ、目的もなく左に曲がり、結果としてチェーンのカフェにやってきた。あらゆる他の人の言葉は、もちろん僕から僕への言葉も、焚き付けである。でも一向に内部から着火しないから、てめえの手でてめえのけつに火をつけやがれと、課金の日々。ここいらの問題をクリアにしない限り、夢の貧乏生活はほど遠い。

*太宰治 お伽草子 浦島さん 青空文庫より引用 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/307_14909.html