品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

痛みリターンズ

もうこの痛みは味わいたくない。

そう決めたはずだった。

決めたのは、僕のはずだったはず。
しかし、じつに、決めるのは僕ではない。
「自分の意志」が痛みの因であるならば、そんなものは捨てよう。
他の人の意志のままに生こう。

だがしかし、そうであるなら、自分の欲望もまた、他の人の意志のまま。

コミュニケーションは、「自分の意志」に、3V(visual vocal verbal[言葉])を、上手に乗せた時に、機能する。
シャリとネタの関係のように。土台がしっかりとしていると、安定して、人前に出せる。

だが、「自分の意志」が半端にあるがゆえに、シャリがぽろぽろ。
「自分の意志」がゼロならば、それは刺身として相手に届く。

しかし、ぽろぽろのシャリでは安定しない。いくら立派な、綺麗に見える、ネタを乗せたところで、シャリはもろく、相手には届かない。

確かに、シャリがもろくとも、コミュニケーションは受信者が決める範疇にある事柄のため、お粗末な出来であっても、相手がお口に運んでくれることもあるだろう。
ネタを握り、差し出す側に結論・結果を出す権限はないのだから。

でもそんなんで、お口に運んでくれても、結局痛みは握った側に還ってくる。
痛みのリスクは負いたくないが、お口には運んでいただきたい。

エイサー・ヨイサー・フ―リャー

『あなたに冒険心が無いといふのは、あなたには信じる能力が無いといふ事です。信じる事は、下品げぼんですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きてゐるのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさぢやないんですよ。もつと卑しいものなのですよ。吝嗇といふものです。損をしたくないといふ事ばかり考へてゐる証拠ですよ。』
↑太宰治 お伽草子 浦島さん 青空文庫より引用 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/307_14909.html

要は、ケチなんです。

「花棒」*を担ぐ勇気、欲望、忍耐がないのです。

 

「自分の意志」=「己の欲」を信じる力。

 

でもやっぱ、ばっちい。

 

ふんろー・ふんろー・ふんろー

 

嗚呼、「花棒」担げる日はいずれ。

*花棒(はなぼう)
『神輿をメインに支えている台棒のうち、真ん中の一番長い棒の前の部分です。神輿渡御で一番目立つ場所なので、花棒を担げるのが一番かっこいい感じです!!場所によっては、花棒を担ぐのはかなり大変です!』
↑mikoshi ittemi ~神輿いってみ~ より引用 https://mikoshi.ittemi.net/mikosh/mikoshi-word/

 

f:id:fuchiwakitsutomu:20180723203818j:plain

 ↑写真はイメージです