品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

第三回寄り合い報告

自分で自分を承認することと、他人に自分を承認してもらうこと。

承認は「受け入れる」というニュアンスで。
自分で自分を「受け入れる」ことと、他人に自分を「受け入れてもらう」こと。

 

どちらも大事で、互いに影響しあっており、同時に育むことが肝要である。
自転車が進むためには、前輪・後輪共に回転してないと、前に進めない。
どちらかにブレーキが入ると、跳ね上がり、つんのめる。転倒の恐れもある。

「承認」だの「受け入れる」だのに、30を超えた「大人」がけつまずいて、かかずらって、こじらせているのは滑稽であり、かつ哀れで、切実である。
あんまりにもこん詰めて、一人抱え込んで悩んでいるのは不健康である。
だから客観視するためにこうやって文字にしてみたり、忘れるために酒を飲んだり、ランニングしたり、ショッピングモールに行ったりする。

手段は有料より無料であることが望ましい。

 

そこで、とりわけ有効なのは、人と話すことである。

 

相手に、自分の悩みを、言える範囲で、相談する。
相手の悩みを、聴いて良い範囲で、聴く。

相手の中に自分を発見することで自分を客観視できる。
相手が自分と同じ悩みを持っており、その悩みに対してどのように考え、対処しているのか、知ることができる。

 

人の悩みは限りなく個別的で、自分の悩みは相手にとってみれば
「そんな(ちっぽけな)ことで悩んでいるんだ…(ばかみたい)」と受け取られていることがおうおうであろう。
それが優越感を与え、お互いがお互いをさげすむことで継続する人と人との間柄、

も、あると思う。僕は全然OK。

 

でもでも、人と話すことの最大の効用は、「快楽」である。

 

『ハーバード大学の神経科学学者の研究によれば、

「自分のことを話す時、それが会話であろうと、ソーシャルメディア上であろうと、人はお金や食べ物、セックスと同じような快楽を感じる」

のだそうだ』

 

引用:『世界一孤独な日本のオジサン』岡本純子

 

そうだ。

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同世代の方が2人来てくれた。
家の修繕はしなく、お茶会。

自分のやってみたかったことができて、うれしかった。
扇風機もクーラーも無い、網戸に穴の開いた部屋で蚊取り線香を2機焚いて、5時間。
部屋には蟻やダンゴムシ、蜘蛛がうろつく。
同性同世代の、生活への取り組み、ものごとの認識の在りかたには共感を覚える話が多かった。

 

取り立てて、複数拠点の重要性の話が、自分の関心ごとと相まって印象深かった。

 

居場所の話。
例)私がまだ働いていたころ

朝目覚め、布団の中で、吸いたくもない、美味しくもないタバコを3本吸い、意を決し布団から出る

着替えずに(仕事着のまま寝てるから)、鍵もかけず家を出る

自販機でレッドブルを買いそれをさかなにタバコを吸い、店の鍵を開ける

(中略)

店の鍵を閉め、ラーメン屋で生姜焼き定食880円をビンコーラでかっこみタバコを吸う

コンビニでグミとチョコとスナックとチューハイとエクレアと揚げ物とコーラと缶コーヒー(全部で大体1000円)を買い布団の上で喰いながら寝る

 

ラーメン屋やコンビニは居場所とは言えなかった。

居場所足りえたのは職場ただ一ヶ所。
家は一人暮らしだから帰っても誰もいない。

毎日は金太郎あめのように、判を押したよう。

 

でも、程度の差こそあれとりたてて珍しいケースとは思わない。

少なくない人たちもまた、家と職場の往復が日常であると思う。

家に愛すべき家族が居たり、就業前にカフェでゆっくりしたり、ジムで汗を流したり。終業後に習い事に行ったり行きつけの飲み屋があったり。

何かしら心安らぐ場所があれば。

 

居場所のある人は、いいよな。

 

休みの日は一日中布団の中でスマホをいじってYouTubeとヤフーニュース。
日が暮れてようやくコインランドリーに行き、コンビニへ行き喰いモノを買う。

振り返るに哀れなくらい居場所のない生活。


どんなに忙しくたって遊ぶ人は寝る間を惜しんで遊ぶ~みたいに、人とかかわることが好きな人だったり、趣味のある人だったら、ちゃんと時間を作って、居場所をたもつ。

僕の場合は趣味も交友関係もなく、自分のキャパシティーが仕事だけでいっぱいいっぱいだった。

 

本当に好きな仕事で好きで好きで寝る暇も惜しいってんなら問題はないのかな。

「熱中」は素晴らしいと思うし、あこがれる。

ただ、僕の場合、仕事は「苦」であった。

 

危険性

 

自分の居場所、拠点が一ヶ所しかないと、そこでちょんぼ(失敗)すると、自分の居る場所がなくなっちゃっう。
だからそれにたまらなくつらくなっちゃって、あの世へと逝っちゃう人とかのニュースを見ると、それ、悲しいし、そうなっちゃうのも分かる。
それは誰にでも起こりうることで、勿論僕にも起こりえた・起こりうる。

僕は端的に労働時間の長短が問題なのだと思う。
「忙」しいは、心を亡くすと書くといいますぜ。
「暇」はカタチがなんか愛らしい。ロコモコみたいでかわいい~。

 

誰かのセーフティーネットやサードプレイスのような場を作りたいという想いは、
誰かのためではなく、100%「私」のために必要なのだなと思い至る。

誰よりも居場所を求めているのはこの私であると。

 

人と話すことの効用よ。

 

生活は犬にでも喰わせとけ!
意味は土に還れ!

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囁(ささや)くような僕の呼びかけに答えてくれたお二人に感謝している。
また、その声を二人に繋げてくれた方にも。

 

来週、2018年6月16日土曜日寄り合い開きます。
次週は家の修繕を予定。10時半ころご参集で、
18時30分からお食事会(宴)を横須賀中央駅のヴィーガンカフェにて開きます。
食事代1000円で飲み物持ち込みですので、夜のお食事会だけでも是非ご興味のある方は是非。

フチワキツトム090‐6563‐2482 ショートメールか電話をいただけると幸いです

 

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 ↑素人(私)の描いた図面。可視的に強く人に訴えかけるヴィジョンが欲しい