品貧生活研究所

神奈川県横須賀市汐入町の谷戸(自動車の入れない階段を200段登る)における、「品」と「貧」の共存を目指す生活を研究し、その成果を報告する在野機関。研究所にカフェの併設を目論む。

百姓チャレンジ

農業体験チャレンジ中です。
有難いことに、近所のカフェご夫婦のつてで。

 

単純に、金を使わない=自給へ向けて。

そして、百の仕事ができる意味での「百姓」へ。

 

金を手段として、企業にまかなってもらっていた日々の仕事を、手元に取り戻すこと。

「生活」を取り戻す。

例えば、セーターのボタンを付ける・お新香を作る・蛇口のパッキンを取り替えるくらいのことですが。

今までの生活を顧みるに、あまりにも他どころに、金で、生活の中の仕事をやってもらっていたのだなと思います。ある種、自分は「楽しみの放棄」をしていたのではないかな?と疑問が浮かびます。だから、あまり働かないで、今までおろそかにしていた生活の中の仕事を、楽しんでみよう。そこに時間を使おうと思っています。結果として、金をあまり使わずにすむから、「貧」しさが生活に滲み出るのかもしれない。でも、生活の中の仕事に丁寧に向き合って、時間を掛け、習熟することで、そこには「品」もまた出てくるのではないかと、期待しています。

 

そのような状態にまで自分の生活をもっていけたならば、例えば、一見相容れないように見えるが、地元のカフェでのお茶や、チェーン店での外食や、ブランドの洋服購入もまた、輝きある「贅沢」として、生活の中に位置するのではないか。(そこにはギャップの振れ幅の力もよく作用するはず)

こっちが正しくて、あっちは間違っているみたいな了見に陥らずにすむのではなかろうか。生活の足元が固まることで、余裕を持ってそれらを一つの楽しみとして純粋に享受できるのではないか。金の有無が余裕を生むのではなく、意識的な生活への試みの積み重ねが、自分への余裕を生む。そして、自分で作った余裕は、周りの人々のために配ることができるのではないか。それが自分の考えるゆたかなさの有りようか。

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↑雑草を素手で抜く。「土」の力を感じる。